こんにちは。昨日やっと岡山も梅雨明けいたしましたが、全国的に新型コロナウイルス第2波の蔓延が及んでおり、再び自粛要請が出るのではないかと心配しています。
国は経済活動を緩めたくはなく、GO TO トラベルを前倒ししてまで行い、一方主要都市や地方ではこれ以上感染者を増やしたくないから自粛要請を出したいばかりで、何ともアクセルとブレーキを同時に踏んでいる今の日本の状況では舵取りが難しいですよね( *´艸`)
さて私は昨日57歳の誕生日を迎えました。SNS上で友人・知人からお祝いのメッセージをいただいて大変嬉しく思っています。
歳と共に月日の経つのは早いもので、私が会社に入って33年、父の後を継ぎ社長に就任してから17年が経ちました。思い起こせばあっという間だったのですが、いろんな出来事があったのも事実です。
1つだけ挙げるとするなら、やはり自宅兼社屋の火災ではないでしょうか。それは1990年、今から30年前の7月18日に起こりました。その日の朝、父と私が応接間でお中元商戦の話をしていたところ、奥の間から祖父の「助けてくれ」と言う声が聞こえたので急いで祖父の部屋を明けると、部屋中が煙と炎に包まれていました。なんとか祖父を部屋から引っ張り出して、その後消防署へ救援を頼みました。
火の勢いは思った以上に早く、結局2時間くらいかかって鎮火しました。自宅兼社屋が炎に包まれて燃え尽きている様を、ただ茫然と見ているだけの光景を昨日のように覚えています。また、たくさんの野次馬には本当に腹立たしく思っていました。
火災の原因は祖父が仏壇に供えたローソクが倒れて、引火してしまったことにあります。起きてしまったことは仕方のないことですが、当時私も若かったものですから、正直言って祖父のことを恨んだこともありました。
結局全焼となってしまい、住まいは借家で当分の間しのぐことになりましたが、幸いにも1階は鉄筋コンクリートであったため、仕事は間もなくすることが出来ました。火災によっていろんなものが焼けてなくなりました。思い出の品々もたくさんあったと思います。でも私の中では物が焼けてなくなったことよりも、父を先頭にたくさんの従業員の方々の頑張りによって会社も繁栄し、築き上げられたものが失われてしまった悲しみの方が強かったです。
当時父の年齢は今の私と同じ57歳でした。今私が当時の父と同じ年齢で、同じように火災が起きたらどんな心境だっただろうかと考えることがあります。30年前と言えばバブル期の後半にあたり、弊社の売り上げも今の2倍以上はありましたし、従業員の数もかなりいました。今の経済状況とはまったく違うわけですが、当時の父の決断の早さとか、行動力には会社の今後を見据えた経営者としての覚悟が感じられました。
今は新型コロナウイルスによって社会生活は一変し、経済活動もままならない状況にあり、売上も前年比を大きく下回っています。こんな中、火災でも起きたなら、それはもう途方に暮れてしまい、立ち直るまでに相当の時間を要すると思います。
本当は経営者たる者、いかなる状況下でも揺るぎない覚悟を持っていないといけないことはわかっているのですが、ここが創業者と二代目の違いなのかわかりませんが、私にはまだまだ足りないものがたくさんあることだけは事実のようです。
毎年7月18日を迎えると当時の火災を思い出すのですが、今年は特に30年の節目の年で、当時の父の年齢と同じ57歳になったことで、しみじみと感慨深く感じるものがありました。私にとって57歳の夏は今だけです。当時の父の心境を今一度想像しながら過ごしたいと思います。
《END》