おはようございます。4月も10日が経ち、桜の花も少しばかりほころび始めました。毎年のことながらゆっくりと花見をする時間もなく、満開に咲いた桜並木の景色を車窓から眺めて感動していたのでした。
昨晩のテレビの速報で、某大臣が失言により辞任したと伝えていました。度重なる失言によって大臣としての資質を問われていましたが、そのたびに任命権者である総理大臣からかばってもらっていました。しかし今回ばかりはかばいきれなかったようです。
人には誰しも足りないところがあると思うのですが、それを劣等感として感じる人と感じない人とではずいぶん違うと思うのです。
劣等感として感じる人は謙虚になれると思いますが、劣等感として感じない人は無意識のうちに横柄な態度になってしまいます。地位や権力のある人,立場が上の人に限ってこのような傾向があるのではないでしょうか。
私は常々人として、男として、経営者としてどうあるべきかを意識しながら生きております。こうしたことをいつも意識しながら生きていくのは、とても苦しいしプレッシャーも感じています。でもそんな中で私の足りないところはたくさんあると思っており、こうした足りないところを劣等感として感じているから、その都度自分なりに思いを巡らしたり、創造していく努力を忘れないように心掛けていられると思います。
劣等感を素直に感じて自分に受け入れることは大切だと思います。それが出来ないと今回の某大臣のように、同じ過ちを繰り返したり、客観的に物事が見られなくなり、人の痛みもわからなくなるのだと思います。
いい年をとって自分の足りないところを劣等感と感じることは、まったく恥ずかしいことだとは思いません。それよりも自分の足りないところを認めず、変にプライドを持つことの方が人として醜い姿だと思います。
私は劣等感を素直に受け入れて、少しでも改善できるように自分なりの努力を積み重ねていく人生をこれからも歩みたいと思うのです。
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