自分の置かれた場所を素直に受け入れることの難しさを実感している今日この頃です。自分の置かれた立場や境遇(環境)への不満は誰しも持っていると思います。
自分が選んだ道かもしれないし、選ぶ余地がないまま通っている道かもしれません。でも同じ道なら笑顔で楽しんで通りたいものです(*’▽’)
時間は平等に与えられているはずなのに、その時間の使い方次第では結果も違ってきます。その人の努力が報われる場合もあれば、報われない場合もあります。時流に乗り遅れたり、戦略を読み間違えて無残な結果になることもあります。
今ある結果や実績、実情に一喜一憂しても仕方がないと思いますが、それまでの過程がどんなものであったかを真摯に振り返り、素直に反省して今後に生かすことだけは忘れてはならないと思います。
有名な哲学者デカルトの言葉に「我思う、ゆえに我あり」があります。また、パスカルは「人間は考える葦である」と言ってます。人間が自然界における存在としていかにちっぽけなものなのか、また反面人間の思考する存在としての偉大さを言い表したものです。
私はこの2つの言葉を思い浮かべた時に、自分の存在意義って何なのか?と考えてしまいます。実家が商売をしていると、長男として産まれた時点で後継ぎとして見られていたのは確かです。寵愛されていたわけではないけど、後を継ぐことが当然のように周囲から見られていたのは、子供ながらに感じていました。
1年間のサラリーマン生活を終えて、30年前に東京から帰ってきたわけですが、弊社の仕事に就いた時には、人生経験も乏しく、自分に自信がなくて、ただただ父の言われるがままに働いていました。その時の父の年齢が、今の私の年齢と同じなのです。それまで30年以上先頭にたって、がむしゃらに頑張ってきた父の目から見れば、その当時の私なんか鼻たれ小僧そのものだったと思います。厳格でワンマンな父に対して意見でもしようものなら、「経験のないものが何を言ってる!」と言わんばかりに一蹴されていました。
多少なりとも甘えも存在し、周りに迷惑をかけたこともありましたが、頭を打ちながらも父の背中を見ながら働いていました。
私が40歳の時に父から社長を引き継いだのですが、現実は厳しもので、私が思い描いていた社長の仕事とはまるで違ったものでした。あたり前のことですが、経営者である以上、責任のすべてを負わなければなりません。仕入れや経理、福利厚生、営業など、他の従業員に任せていることでもすべてを把握していなければなりません。販路拡大や新商品の開発は私以外にする人はいません。
同族会社であるが故の問題もありますし、女性の職場ならではの問題もあります。周りに気を使ってばかりだと、やりたいことも出来ないし、言いたいことも言えないような日々が続きます。どうすることがベターなのか!?考えても考えても答えなど出てきません。自分が変わらなければ人も変わらないこともわかってはいるけど、現状を嘆いていても仕方ないことだけは理解しています。
月に何回かブログをしたためている時はまだ心にゆとりがあります。そしてブログを綴りながら、自分を猛省したり、自分に檄を飛ばしたりしています。
誰かに褒めてもらったり、認めてもらうために働いているわけでもなく、ただお客様から喜んでいただけたらと言う思いで頑張っているだけです。
曲がりなりにも十数名の従業員を抱えた零細企業ですが、従業員の指導や管理を含めて、会社としての社会的責任を果たさなければならないと思っています。食品加工における様々な法令がありますが、いつも神経を尖らせていなければなりません!
代々うちの経営者は儲けることが下手みたいです。私も例外ではありませんが、ただ儲けることに頭を使うよりも、どうやったらお客様に喜んでもらえるかを考えた方がいいと、常々父からも言われていました。やはり、会社も繁栄し、一緒に働いている従業員にも喜んでもらえ、お客様にも喜んでもらえ、地域社会にも貢献出来たら、こんなに幸せなことはないですからね!
私と言う人間の存在理由、存在意義は自分で色々思うところもありますが、私に関わってくださっているすべての方も、私の存在意義をいろいろと胸にしまっておいてくださっているのではないかと思っています。
こうして自分の存在意義を考えている間は、自分もまだまだ成長し続けているのだと思っています。いろんな方々への感謝の気持ちを忘れずに、これから31年目に向かって気持ちも新たに進んで行こうと思います(^^)v
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