こんばんは。先ずはこの度の大震災で被災されました熊本県民の皆さま、周辺地域の皆さまには心よりお見舞いを申し上げます。何百回と続く地震に、心も体も休まることがないと思います。どうか気持ちをしっかりと持っていただきたいと思います。
私の妹も熊本の八代に嫁いでおります。母からの話では、昼間は家で待機をして、夜には避難場所へ行くみたいです。でも建物の中には入らず、車の中で夜を明かすそうです。不自由な生活を強いられているかと思うと、居ても立っても居られない気持ちになります。
10日ほど前、ある小学校の入学式のお弁当を配達しました。そこの小学校は今校舎を建て替えていて、プレハブの仮の校舎でした。玄関を入った正面に誰かの詩が書かれていました。
「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」は誰にでも見える
私はその場で何回となく繰り返して読みました。そして5年前に東北地方を襲った大震災の時に、テレビでACのコマーシャルで流れていた詩だってことを思い出しました。
この詩は宮澤章という詩人が書いた「行為の意味 青春前期のきみたちに」の中の一節です。
作者は、すべての人が持っているやさしい気持ちが、たくさんのあたたかい行為となって世の中に生まれてほしいと願っています。でもやさしい心や思いやりの心を持っていても、それを行動に移すことは正直難しいです。目立つことが嫌な人だっています。人に知れないように、そっと行動に移す人もいるかもしれません。みんなが行動に移せれば言うことないですが、人それぞれ自分に合った表現の仕方で良いと思います。
言葉ひとつ、言い方ひとつだけでも相手に、周りに「こころづかい」出来るかもしれないし、「思いやり」出来るかもしれません。
この度のような被災された人たちに手を差し伸べることはもちろんですが、日常生活の中でも自分らしい「こころづかい」、「思いやり」を忘れずに生きていこうと思います。
《END》