暑さ寒さも彼岸までと言う言葉の通り、朝晩は過ごし易くなり、日中も30℃を下回る日も目立つようになりました。
さて、テレビでは連日のように旧統一教会問題が取りざたされています。正直言ってもううんざりしながら観ていますが、この
問題はなかなか根が深そうです。
日本にもいろんな宗教があり、そこには教祖が存在し、教祖が教えを説いた教義があります。無信仰の私からすると、旧統一教会の教えや布教のあり方などは正直びっくりするようなものばかりです。それでも多くの信者を擁しており、教団の関連施設などはみな立派な建物です。
宗教の自由、信仰の自由は憲法でも保障されていますが、どうも信者の心の隙間に上手く入り込んで、マインドコントロールして、献金しなければ不幸になるような教えがまかり通っている気がしてなりません。
何かの宗教を信仰することは、何も信仰していない人よりも時間的にも、経済的にも負担がかかります。それでも信仰を続けると言うことは、自分が信じるものにとにかくすがりたい訳で、信仰することで心も浄化され、自分も守られていると感じるのだと思います。
世の中には何かの宗教を信仰をする人もいれば、何も信仰などしない人もいます。信仰する人にも理由があり、信仰をしない人にも理由はあります。
私がなぜ信仰しないかと言えば、日本だけでも2万もの新興宗教があり、それと同じだけ教祖と教義があります。どの教えが正しくて、どの教えが間違っていることなど言えるものではありません。
ただ私はどの教義も所詮人間が作ったものだと考えています。自らの体験や理想に基づいたものでしょうが、私自身は自分の経験値や価値観、人間関係を大切にすることで、自らの人生を切り開く方を選んでいるのです。別の言い方をするなら、何かにすがりたくないし、誰かが作った教えなどには興味がないのです。
信仰している人の気持ちは、信仰をしていない人にはわかりません。またその逆も然りです。無理のない信仰、周りに迷惑がかからないような信仰であるなら、信仰している人と信仰していない人とが上手く共存できて、お互いを理解し合えるのではないかと思います。
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