2021年09月21日
こんにちは。日中はまだ秋が深まったとは言えないような暑さです。”暑さ寒さも彼岸まで”とは言いますが、もう少し辛抱していたら、秋らしくなるのかもしれません。
秋は春と違った景色を見せてくれます。”天高く馬肥える秋”と言うように、それまでの夏と違って空がとても高く感じます。雲の形も変わったり、秋に咲く花々にも春のような鮮やかさはありませんが、落ち着いた気持ちにさせてくれます。
昨日はお彼岸の入りでした。前日に母とお墓の掃除に行って来て、30分くらいかけて草取りをしてきました。その間他愛もない話をしながら草取りをしていましたが、年々母の背中が小さく見えてきて、あと何年一緒にお墓参りに行けるのだろうと思ったのでした。
お墓参りをすると、いつも在りし日の父を思い出します。仕事、仕事と本当に仕事人間の父でした。昭和31年に創業しましたが、当時は戦後復興も徐々に落ち着いてきて、日本全体が経済立国を目指してがむしゃらに働いていた時期だと思います。とは言え、近隣に同業他社が何社もあり、後発の会社として相当な苦労があったに違いありません。
苦労話は子供の頃からよく聞かされておりました。子供の頃母にかまってもらおうとたまに事務所に行きましたが、「セールス」という経済誌とか、松下幸之助が書いた本などがたくさんあったことを記憶しています。おとなしく、人前に出ることが嫌だった父が、なんとか克服するためにいろいろ勉強していたんだと思います。
真面目だけが取り柄でしたから、その性格を理解してもらうために何度も何度も足しげく通ったのだと思います。
人間は情に弱いものです。断られても、断られてもめげずに何度も通う父の姿に、だんだんとお客様も父のことを信頼してくださるようになりました。そして一度買って下さったお客様にはいろんなサービスや提案をして、お客様の心理を掴んで離さないようにしてきました。それは何十年もの間、変わらずにご贔屓に注文をいただいているお客様が数多くいらっしゃることからもわかります。
まさにこのことが商売の原点だと感じました。創業から65年が経ちましたが、商売に対する父からの精神はしっかりと受け継がなければならないと思っています。
しかしながら、ネット販売が主流になりつつある今では、お客様の購買心理も変わりつつあります。個別に対面で営業するのとは違って、ネット上で売り手側の想いをお客様へ伝えることが大変難しくなってきました。そしてお客様もネット上の写真とか、お客様レビューとか送料サービスなど、実質的な商品とはあまり関係のないところで選ばれることが多くなっています。
私はこの6月から代表取締役会長に退きましたが、父から受け継いだ精神はこれからも守っていくつもりです。ネットでのお客様にも父から受け継いだ精神で、いろんな情報やいろんな企画で親切・丁寧にお客様の心にお届けしなければならないと思っています。
コロナ禍で売り上げもずいぶんと下がっていますが、こんな時期だからこそ、お客様を大切にするためのいろんな案を考えて、実行に移さなければならないと思います。
《END》
2021年09月11日
9月に入って早いもので10日が経ちました。東京パラリンピックも終わって、世の中は自民党の総裁選一色の気配がします。今のところ3名が名乗りを挙げていますが、どの候補もいろんなしがらみを抱えているのが透けて見えます。立候補前後での発言内容が変わったり、派閥の領袖への忖度が見え見えなのが滑稽にさえ思えてきます。
日本では与党第一党の党首がこの国のトップと言うことになります。アメリカや韓国のように国民の投票によって選ばれる大統領制ではありません。と言うことは、国民の意志に関わらず、党員や国会議員の中だけ選ばれてしまうということです。国会議員は国民に選ばれていることには違いありませんが、私には国民目線と言うにはほど遠く、党利党略のための総裁選になっているような気がしてなりません。
国民には耳障りの良いことをメッセージとして伝えていますが、結局のところ党の権力者への忖度は忘れておらず、党や党の権力者たちにとって都合が悪いことには蓋をしてしまっているようです。
新型コロナウイルスの感染をどのようにして抑え込むのか、また収束後の経済をどのようにして立て直していくのかなど、具体的なメッセージを国民に示して、安心させていただきたいものです。
自民党という器の中だけの茶番劇で終わらないで欲しいです。長引くコロナ禍で、困窮している人がどれほどいるか!?2代目3代目の世襲議員の先生方には、庶民の気持ちなどわかるはずもないでしょうが、少しでも庶民の気持ちに寄り添う姿勢を見せてほしいものです。
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2021年09月05日
こんばんは。東京パラリンピックも今日で終わりです。いろんなハンディを背負いながら、生きてきた人が懸命に頑張っている姿には胸を打たれます。彼等たちはハンディのあることに対してネガティブな気持ちなどなく、不自由な中にも明るく前向きに生きていらっしゃいます。生まれながらにしてハンディがある人もいれば、事故などの後遺症によってハンディ背負う人もいます。誰しも好き好んでハンディを背負っている人などいません。だから私はハンディのある人に対して、憐れむことよりも一人の人間として接していくことが大切だと思うし、彼等もそれを望んでいると思います。
人間に限らず、動物でも命ある生き物はやがて死んでいきます。それは自然の摂理なのですが、この世に命を授かったからには、それれなりの生きる意味があるんだと思います。人間にも動物にも。
6月21日に我が家で飼っていた犬が亡くなりました。14歳と10日の命でした。亡くなる1年半以上前から両目が見えなくなって、徐々に体も衰えていきました。食欲はあったのですが、かなりの偏食になってしまい、いろんなものを与えていました。
元気な頃はよく愛想を振舞ってくれて、まさに家族の一員としての存在になっていました。犬には言葉はありませんが、感情は人間と同じようにありました。嬉しい時、楽しい時、怒っているときなども体を使って表現してくれて、コミュニケーションをとっていました。
犬はしゃべれませんが、犬は何を考え、何を思って生きているのだろうとよく考えておりました。人間のように話すことが出来れば良いのですが、その分言葉によって人を傷つけたりすることもありません。それどころか飼い主に愛くるしい表情を見せてくれ、癒された気分にさせてくれます。それが自分を飼ってくれていることへの感謝でもあり、愛情表現だったのだと思います。
人間は何のためにいきているのでしょうか!?何も考えずに生きている人などいないと思います。親からこの世に命を授かり、親に感謝しながら生きていくことに意味があるのではないでしょうか。子供は親を選ぶことは出来ないと言われますが、親がいたからこそ、今の自分が存在していることは間違いのない事実です。
生きていくことは、楽しいことより辛いことの方が多いかもしれません。人間は生まれ育った家庭環境や友人などからいろんな影響を受けて生きています。そして楽しいこと、辛いこと、悲しいことなどを経験していきます。その経験は自分ひとりが経験しているようでも、実際は周りの人にも間接的に影響を与えているものです。どんな経験をしても、周囲のいろんな人が絡んできます。そして自分だけが楽しい、辛い、悲しい思いをしているのではなく、自分の周囲の人達も同じ気持ちでいると思うのです。
そう考えると、人間って自分のために生きているのではなく、周りのいろんな人達と一緒に共存していかなくてはならないと思います。身近な存在で言えば、親、兄弟、家族、友人、会社の仲間、ご近所の人たちなど。
何かがあればお互いさまの気持ちで、お互いに助けたり助けられたりしていかなくてはならないと思います。と言ってもいろんなタイプの人がいますからね。身近な人からでも嫌な思いをさせられることもあるでしょう。それでも関係を解消することなどなかなか出来るものではありません。そんな時には時間をおいて、リセットしながら友好的な関係を築いていくしかありません。
人間は自分以外の人と一切関わらずに生きていくことなど出来はしません。そう考えれば、自分以外の人との出会い、繋がりを大切にして生きていくことが生きる意味ではないかと思います。周りの人からは良いことも悪いことも教わります。自分に足りない所は、いくつになっても見習わなければならないし、良くないことは優しく諭してあげなければなりません。
いくらお金持ちであろうと、地位や名誉があろうと、人に恨まれたり、憎まれるような人間にはなりたくありません。
私はこの世に命を授けてくれた両親に感謝しています。両親が通ってきた道は平坦な道ではありませんでした。私は両親が歩んだ道を道標として、これからも周囲に感謝しながら生きていこうと思います。
《END》