2021年06月24日
こんにちは。今日の天気はむしむししていて、晴れていたかと思ったら、急に雲がいっぱい出てきたりと不安定な天気でした。また新型コロナウイルスの感染者も1人ということで、最近はずっとひと桁の人数が続いていて安心しています。
さて私のブログも足かけ8年目に入ろうとしています(^。^)y-.。o○ 相変わらず書くことには時間が掛かっていますが、文章を書くことは好きなので苦にはなりません。
何百回も書いていると、ブログを通じて私の人となりを想像しながら読んでくださっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私と面識のあるお方でも、私という人間をあまり知らない方もいることと思います。
私は時折文章の中にも自己分析してみたり、自分の好きなことや嫌いなことも書いたりもしていました。今日はもっと掘り下げてお伝えしたいと思います(#^^#)
まず第一に私は生来のんびり屋です。焦ったり、バタバタと気忙しくすることなどありません。計画を立てるのは好きですが、自慢じゃないけど計画通りにいったことなどありません(*’ω’*)。でも社長時代にはお客様とのお約束は必ず守りましたし、国や諸団体から要請があった資料の提出も期限をきっちりと守っていました!(あたり前ですが💦)
でもあまりにものんびり屋が過ぎるものだから、競争心だとか負けん気とかが他の人とは劣ってしまいます”(-“”-)”。
大学受験でも、普通の人は頑張って自分の入りたい大学を目指すのですが、私の場合は入りたい大学というよりも、入れる大学を受験したのでした(-。-)y-゜゜゜。それは、将来のビジョンなどに高い志があって有名大学を志望するならわかるけど、そうでない人が仮に有名大学を出たって何の意味もないと思っていました。
次にブログでもよく書いたのですが、私は一人の時間が好きです。幼少の頃から私は、家の中では静かに一人遊びをしていました。絵本を読んだり、百科事典をみたり、貯まったお小遣い(10円玉ばかり)を数えてみたりしていました( *´艸`)
社長になってからは、もっぱら晩御飯を食べたあとに夜な夜な事務所でデスクワークをするのが好きでした。ひとり物思いに耽ってみたり、YouTubeでお気に入りの音楽を聴きながらいろんな企画をねったりしていると、時間が経つのを忘れるほどでした。
でもその反面、周りにあまり相談などしませんでした。本当なら悩んでいることや、自分の仕事に対する思いなどを誰かに相談したり、聞いてもらえば良かったのでしょうが、結局独りで悩み、苦しみ、そして独りで解決していったのでした。
相談できる人がいなかったわけではないのですが、若い頃から誰にも相談することもなく、いつも自分で何とかしてきたのです。
ただ自社サイトを立ち上げる際には、自分では到底無理なので専門家からいろんなアドバイスをいただきました。
たぶん今日書いた自分という人間~その1~だけを読むと、社長には向いていなかったんじゃないかと思う方もいらっしゃるでしょうね。でも世の中にはいろんなタイプの社長がいますから、私だから乗り越えられたってこともきっとあったと思っています。社長も一人の人間ですから、良いところもあれば悪いところもありますよね(*^^)v
《END》
2021年06月22日
こんにちは。今年の梅雨は平年より3週間も早かったのですが、今のところ長雨やゲリラ豪雨になることもなく、比較的過ごし良いと思います。7月に入って、西日本豪雨のような大雨が降らないことを願っています。
さて今日は亡き父の誕生日であります。生きていれば88歳だったのですが、父は74歳の若さで亡くなってしまいました。私とは30歳離れています。私も頑張って父の歳まで生きれるよう、健康管理に気を付けたいと思います。
思い起こせば父が亡くなった時、私は社長に就任してから4年の月日が経っていました。その4年間は父は闘病生活を送っていたこともあって、私自身に細かなアドバイスをしてくれたことはなかったです。でも父の存在そのものが私には大きな支えになっており、父に相談をすることもなく、自分でいろんな企画をしてみたりして、経営判断をしておりました。
しかし父が亡くなってからは大きな柱を失ったような感じがして、孤独感をずっと感じていました。それは先月私が社長を退任するまで続いていました。
父は私のことを子供扱いにする時もありましたが、私は社長に就任して以来、経営者としての大先輩として接してきました。だから余計に亡くなった時には、父と言うよりも会社の中の大きな柱を失ったような気がして、喪失感は本当に大きなものでした。
父が亡くなってからは、お盆やお彼岸はもちろん月命日にもよく母とお墓参りに行っています。お墓の雑草を取り乍ら、在りし日の父を思っていました。その時だけは長男としての立場を実感していて、父に感謝したり、いろんなことを報告させていただいています。
私は経営者として父親の足元にも及びませんでしたが、社長を退任したあとは、今まで以上に長男として母を大切にしていこうと思うのでした。
《END》
2021年06月17日
こんにちは。最近は歳のせいか、5時くらいには起きてしまいます(-。-)y-゜゜゜若い頃はあれだけ寝起きが悪かったのが嘘みたいです!今朝も気持ちの良い朝でしたが、日中は30℃近くになるみたいで、熱中症に気を付けなければなりませんね。
岡山県の新型コロナウイルスの感染者数もここのところひと桁の日が続いています。。緊急事態宣言が功を奏しているのか、はたまた巷のうわさによるとPCR検査をあまりしていないんじゃないか、どちらなのか真相はわかりませんが。このままいけば20日には解除になるのだと思います。ただ、解除した途端に一気に人流が増加してしまって、感染者の増加に繋がらなければいいのになって思います。
前回お話ししましたように、私は6月1日より社長を退任して会長に就任いたしました。これで少し肩の荷がおりたように感じております。
私の場合、父が病気療養中に40歳で社長職を受け継いだのですが、まだ父が存命している間は父の存在自体が精神的な支柱になっていました。しかし父が亡くなってからは、本当に孤独な日々でした。誰に相談をするわけでもなく、降りかかった諸問題は自分で一つずつ解決していかなければなりません。例えば一人の従業員によるミスでも、社長が矢面に立って解決しなければならないのは当然のことです。
弊社では食品を扱っているので、異物混入とか、食中毒、他にも食品衛生法に定められているいろんな決まりごとに気を付けなければなりません。何事も起こらなくてあたり前であり、何かが起こらないように日々の指導には神経をすり減らしておりました。
そこそこの企業なら、いろんな部署に分かれていて、部署ごとに責任者がいます。またその上には責任者を束ねる管理職もいます。そして社長は何人かの管理職たちといろんな情報を共有し、問題となることは会議をして会社としての方針を決めます。
しかしながら弊社のような10数名の小さな会社では、社長が多岐にわたっていろんな思いを伝え、指導をしていかなければなりません。
父が亡くなってからは、胃がきりきりするような毎日でした。何かしらのトラブルが発生しようものなら、直接お詫びにいったり、おわび状を書いたりもしました。また改善策はもちろん事あるごとに作らなければなりません。
トラブルの処理の仕方を誤ると、会社の存続の危機に立たされることにもなりかねませんから、丁寧に丁寧にことにあたっておりました。
毎日神経を使っていたのが原因なのか定かではありませんが、私は47歳で大腸がんを患い(初期だったので、レーザーで焼き切って完治)、また50歳を過ぎた頃から突発性難聴を何度も患いました。
父の後を引き継いで、会社が大きくなったわけでもなく、逆に売り上げは減少していきました。ただ私が自負していることは、時流に沿ったネット通販の確立、通販事業の整備だけは出来たのではないかと思っています。
小さな会社だからこそ、社長の一言一言が周囲に良くも悪くも大きな影響を与えます。
新しい社長には、決して驕ることなく、どんな時にも冷静に謙虚な姿勢でたくさんの人と関わっていかなければならないと思います。
《END》
2021年06月06日
おはようございます。6月3日にお中元用のカタログ「夏の味だより」を投函しましたが、おかげさまで少しずつお客様から注文が入ってきております。
さて、弊社では今月より社長が交代したわけですが、その間準備や手続きするにあたってはいろいろと大変でした。挨拶状の準備、登記簿謄本変更の手続き、金融関係や諸団体への代表者変更の手続きなど。しかしそれらをすべてお膳立てをして引き継ぐことが私の使命だと思っていましたので、どうにかこうにか無事に引継ぎが終わってホッとしている次第です。
私は40歳で父より社長を引き継ぎましたが、18年近く社長を務めて様々なことを勉強させていただきました。人を動かすことの難しさ、人に自分の思いを伝えることの難しさ、決断力、分析力、判断力の難しさなど、本当にたくさんのことで頭を打ち、その度に悩み、苦しんで、もがきました。それでも自分でなんとか乗り切ったこともあるし、周囲に助けられたことも数多くありました。
私が思うに、社長も一人の人間であり、自分と関わっている従業員、家族、仕入先、お得意先様も一人の人間です。人間って性格、性分、価値観も違って当たり前なのですが、人には心があり、その時その時でいろんな感情を持ち合わせています。だから私は自分の都合の良いことだけを言うことだけは慎んできました。また話し方にも気を使っていました。
そして常に会社の代表であることを意識しながらも、一人の人間としてどんな言葉をかけようか、どんな立ち振る舞いをしようかを一度頭の中で整理してから接するように心掛けていました。
会社を代表する社長が発した言葉や、立ち振る舞いは、それなりの影響力があり、その会社全体の意見であると思われるのが自然です。そうなると、時に何気ない言葉や立ち振る舞いが、相手に嫌な思いをさせてしまうことにもなりかねません。社交的な振る舞いと、不用意な発言をすることとを混同してしまうと社長への不信感はもちろん、会社への不信感へと直結するのです。
信用を築くには時間がかかりますが、失う時は一瞬だと言うことはよくわかっていましたので、いつも心に刻み込んでいました。
社長の仕事って多岐多様に渡りますが、とにかく上手に振舞うのではなく、どんな人でも分け隔てなく大切にして、思いやりの心を持って接していかなければならないと思います。
《END》
2021年06月05日
おはようございます。昨日、一昨日と雨模様でしたが、今日は良いお天気で、しばらく晴天が続くようです。
緊急事態宣言が今月の20日まで延長されましたが、それが功を奏したのでしょうか、岡山県の新型コロナウイルス感染者の数も減少傾向にあります。
しかし、度重なる自粛の要請には多くの人々が我慢を強いられていることは確かです。殊に飲食関係の事業所には存続の危機に晒されているところも多いのではないでしょうか。
一般国民も自粛生活に慣れてしまって、新たな生活様式を上手く作っている人もいれば、我慢しきれなくなってついつい出歩く人も増えているようです。
国の指示通りに自粛要請に応えることは、我慢の限界との闘いでもあります。みんなそれぞれ生活がかかっており、感染予防との両立で身も心も疲れ切っていると思います。
今の状況を当たり前のこととは捉えることは出来ず、多くの人がいつまでこんな生活を強いられるのかと思っているはずです。欧米のようにワクチン接種が進んでいれば、明るい希望を持って我慢も出来るのでしょうが、今の日本には一筋の光もなかなか見えてきません。
いつまで我慢するのかと、先のことばかり考えていると気持ちも揺れ動きます。我慢しているのは自分だけではないこともわかっていても、心穏やかにはいられません。
私は一日一日を無事に過ごすことだけを考えています。その積み重ねなんだと心に決めていれば、半年後だろうが一年後だろうが、いつかは収束するに違いないから、それまで自分にできることは精一杯やっていくしかないんだと思います。
今は、収束後の楽しい生活を夢見るよりは、大切な人や自分の身を守ることのほうが重要だと思います。そんな生活スタイルを貫いたあかつきには、きっと自分自身も成長しているだろうし、収束後の生活も今まで味わったことのない充実したものになるのだと思います。明けない夜はないと言いますが、そう信じて決して無理をせず、決して自分勝手な行動をせず、一日一日を大切に過ごしましょう。
《END》
2021年06月01日
こんばんは。梅雨の中休みでしょうか、今日は汗ばむほどの暑さでした。
急なお話ではありますが、本日より私は社長を退任し、代表取締役会長となりました。新しい社長には実弟に任せることにして、私は会長として新社長をサポートすることとなりましたので、今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
以下の文章は、夏のカタログのごあいさつの箇所で私が述べた記事です。
ごあいさつ
入梅の候、皆様には健やかにお過ごしのこととお喜び申し上げます。
平素は格別のご高配を賜りまして、心よりお礼申し上げます。
コロナ禍での新しい生活様式に耐え忍んでいる人もいれば、周りがやっているから自分も大丈夫だろうと、身勝手な行動をしている人もいます。
医療従事者の皆さんの命がけの行動を思えば、我々の日常生活の自粛や制限などは比ではありません。一人ひとりの感染防止に対する意識を今一度見つめ直さなければならないと思います。
私はこの度諸般の事情により、五月末日をもって代表取締役社長を退任することとなりました。後任には実弟に就任してもらい、私は代表取締役会長として新社長をサポートさせていただく所存です。
四十歳で父からバトンを渡され、十七年十ヶ月の間社長職を勤めてまいりましたが、いろいろなことがありすぎたせいか、あっという間に過ぎていった感じがします。経験不足が原因で招いた失敗も数知れずありましたし、苦境に立たされたことも何度もありました。しかしその度に従業員をはじめ周りの多くの方々から支えていただき、何よりもお客様からの感謝のお言葉が励みになりました。ただ結果的に私の力不足により、“会社は経営者の器以上に大きくならない”ことを実証することとなりました。
私を含めてですが、人には良いところもあれば、悪いところもあります。人を動かすことの難しさは身に染みて感じておりますが、私は人の良いところを引き出してあげるように心掛けてまいりました。そのことで自分を省みることもでき、自分自身も成長させていただいたと思っております。
時代とともに食に対するニーズ、贈り物に対するニーズも変化してまいりました。時流に沿った経営判断をしてきたつもりですが、なかなか結果として表れなかったことも事実です。しかしながら、試行錯誤して出した私の企画が、たくさんのお客様からご好評をいただいたことは経営者冥利につきます。
また父の代よりご愛顧をいただいていた古くからのお客様が、私の代になっても引き続きお取引をいただけたことは、本当にありがたいことと感謝の念にたえません。
私の好きな言葉は、“感謝”と“謙虚”です。この言葉を事あるごとに思い出し、いつも心に刻んでまいりました。「経営者とは孤独な者だ」と亡くなった父から聞かされておりましたが、壁にぶつかる度に在りし日の父の姿を思い出し、自問自答を繰り返しておりました。
代替わりをしましても、真面目な商売、お客様本位の商売は受け継がれることと思いますので、どうか今後とも変わらぬご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
末筆になりましたが、コロナ禍ではありますが、皆様が穏やかにお過ごしになれますことをお祈り申し上げます。
令和三年六月吉日
(株)魚伊山陽路
会長 原田浩太郎