2019年02月25日
今週に入ってからは2月とは思えない陽気で、春がそこまで来ているのではと錯覚してしまいます。
日曜日の夜にNHKの「ダーウィンが来た」を観ていました。ワオキツネザルの特集をやっていたのですが、ワオキツネザルは数匹の群れを作って行動します。それも血縁を中心に群れを作るのですが、血縁したサルが増えていくに従い血縁の薄いサルから順に群れを追い出されていくのです。その群れの中にも掟のようなものが存在するようで、追い出されることを標的にされると、とことん意地悪をされたり攻撃をされます。でもサルにも友情とか恩義を感じるのでしょうか、過去に危険から助けてもらったことのあるサルは追い出されてしまったサルのことが気になって仕方ないようです。
こうしてワオキツネザルも群れの中でいろんなことを経験し、生きていく力を身に付けていくのでしょうね。
人間世界の場合、あまりにもいろんな人がいて共生することの難しさを感じます。よく”人を育てる”と言いますが、これはおもに立場の上の人が使う言葉です。理想を掲げていざ人を育てようとしても、なかなか上手くいかないのが現実です。立場を意識して人を育てようとしても所詮無理があるのではないでしょうか。指示系統がはっきりしている組織でも、役職が上の人が下の人を育てることは一筋縄ではいかないのです。
役職や立場うんぬん以前に、一人の人間として相手に向き合わなければ始まらないと思うのです。そして日頃の何気ない挨拶や会話を大切にして、お互いの信頼関係を築かなければならないと思います。また相手の人格を尊重して、必要な存在だと認めてあげなければならないと思います。そのうえで、自分も一緒に成長していくつもりで臨むことが大切なのではないでしょうか。
30年くらい前にあるセミナーの講師が、「人間と動物の違いは、足りないことに気付いているか否か」と言われたことを覚えています。育てる方も育てられる方も同じ人間だと言うことを肝に銘じて、足りないところは補ってあげれば良いし、素晴らしいところは褒めてあげれば良いし、その人に合った接し方を心掛けて、自分も一緒に成長できるのなら、本当の意味で人も育つのではないでしょうか。
言うは易く行うは難しなのですがね(^。^)y-.。o○
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2019年02月18日
こんにちは。今日は日中はぽかぽか陽気で、春を思わせるようでした。今週は気温も上がる日が続くみたいですが、いずれまた寒気がやってきて、その繰り返しで少しずつ春に近づいていくのでしょうね。
さて先日、競泳の池江璃花子選手が白血病になったことを公表しました。彼女はコメントの中で「神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と率直な気持を話していました。その言葉に国民の多くの人達が感銘を受けたのではないでしょうか。
東京オリンピックまであと1年半という期間しかなく、日本の競泳選手の中で誰よりもメダルに近いところにいる彼女が、自分に与えられた現実をここまで真っすぐに受け入れている姿勢には本当に感服いたします。
どのような治療を受けるのか今の時点では不明ですが、どのくらいの期間がかかるのかもわからず、完治するのかどうかもわからない状況で、病気に向き合っていかなければならない彼女の心中は、想像を絶するものだと思います。
一生の中で、何事も無く平穏無事に終わる人生などないと思います。誰でも生きている間に、一度や二度は辛いことや悲しいことを経験するものです。
”なぜ神様は自分にだけこんな試練を与えるのか!?”と嘆いてみても何も変わらないのです。私も池江選手と同じように”神様は乗り越えられない試練は与えない”と思っています。私の勝手な解釈ですが、神様は『あなたなら大丈夫。きっと乗り越えられる。あなたの周りには、あなたを必要としている人、あなたを支えてくれる人がきっといる。だから自分一人で苦しみを抱えていないで、周りの人達と一緒に前を向いて一歩ずつ歩んで行こう。時間がかかっても、結果がすぐについてこなくても、あなたの笑顔が周りの人達を元気づけ、周りの人達の笑顔があなたを勇気づけてくれる。そしていつかみんなで喜びを分かち合える日が必ずやって来ると信じている』と言っているのだと思います。
池江選手がこれからどんな人生を歩んで行くかはわかりませんが、きっと私たちは彼女のことをいつまでも応援しているし、一日も早い回復を祈って、彼女が復帰することを待ち望んでいることでしょう。今回のことで、彼女から生きる力をもらった方はたくさんいることでしょう。何かにつまづいたら彼女のことを思い出して、精一杯生きていこうと思います。
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2019年02月08日
春のチラシの原稿に追われているのに、やぼ用もあったり、要らぬことばかり考えていたらなかなか進まない(=_=)。自分では集中力はある方だと思っているのですが、エンジンがかかるまで相当の時間が必要になってきます。やはりいつものことながら、締め切りが近づいてお尻に火がつかないとダメなのかもしれませんね(*’ω’*)。
私は傲慢なタイプの人が苦手です。別の言い方をすると、よくわからないプライドを持っている人です。プライドを持つことは良いことです。何かの分野で経験を積み、知識を習得したことで自信を身に付けたことは尊敬に値すると思います。だからといって、自分はすべて正しいと相手を否定したりするのは間違っていると思います。
私はプライドとは人前で出すものではなく、心の中にじっと留めておくものだと思います。
私は世の中には完璧な人などいないと思っています。みんな性格も価値観も違い、育った環境も仲の良い友達の種類も違います。そんな中でお互いをわかり合おうと日々生きているんだと思うのです。そして相手の人格を認め、自分に足りないものは吸収しなければなりません。そうすることでお互いを信じて、助けあったり、支えあったりできるのではないでしょうか。
お互いが必要な存在だとわかれば、尊敬しあえるでしょうし、自分と言う人間が価値のある存在であることを知ることも出来ます。
プライドが高すぎると傲慢になってきます。傲慢な人は、自分は完璧だと思って他人の意見を排除し、他人を必要としません。なんとも寂しい限りです。
そんな余計なプライドなど脱ぎ捨てて、もっと謙虚になってお互いを必要とされるようになって、一緒に成長しあえたら、生きていることが楽しいんじゃないのかなって思うのです。
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2019年02月06日
立春が過ぎて暦の上では春ですが、まだまだ厳しい寒さが続いております。日中の気温が15℃近い日もあれば、10℃に満たない日もあって、体調管理が難しくなっています。巷ではインフルエンザも流行っていて、特に抵抗力の弱い子供やお年寄りの方と同居されているご家庭は、気を付てあげなければなりませんね。
本日は春のチラシ用の写真撮影を行いました。箱に入った状態の商品の写真や調理例などのイメージ写真などをたくさん撮りました。いつもお世話になっているカメラマンは、食品を専門に撮っている方です。
「餅は餅屋」と言いますが、さすがに食品ばかりを撮り続けているカメラマンは違います!素人がスマホで撮るのと比べること自体失礼なことですが、やはりプロにしか出せない技、経験を積んだからこそ出せる技がありますね。
撮影をしている時には、カメラマンに任せっきりにしないで、私のイメージを伝えます。そしてカメラマンの意見も聞きながら、より良い方向へ持っていくようにしています。そうすることで双方が納得のいく作品が出来ると思っています。そして撮影しながら、いつも雑談をしながらいろんな話をしています。コミュニケーションをとりながら、お互いに楽しく仕事が出来れば言うことはありませんからね(^。^)y-.。o○
タイトルに「労働」の意味を考える。としていますが、『労』と言う字には、”ねぎらう”とか”いたわる”と言う意味があります。要するに、働くと言う行為の中には、”ねぎらう”とか”いたわる”心が欠かせないと思うのです。そういう心がない労働は本当の意味で労働とは言えないんじゃないでしょうか!?
一緒に働いている相手に対して、”ねぎらう”とか”いたわる”心があるからこそ仕事もスムーズにいき、人間関係も円満にいくのだと思います。一緒に働いている相手と気持ちよく仕事が出来ると、その満たされた心って何物にも代えられないと思います。
自分だけしんどい思いをしているとか、自分がいるから成り立っているとか思っていたのでは、それは労働ではなく、ただ体を動かしているだけに過ぎないですね。
《END》
2019年02月03日
こんにちは。今日は2月3日で節分の日です。子供の頃は、この日は豆まきをする日と決まってたのに、いつの頃からか恵方巻を食べて、邪気を払い無病息災を願うイベントになってきました。コンビニやスーパーの戦略にまんまと乗っかってしまった感じです(^。^)y-.。o○
もともと節分とは、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを言って、季節の分かれる日の意味なのです。昔の人は、イワシの頭を柊の小枝に刺したものを戸口に挟んで、炒り豆をまいて邪気を払っていたのですが、そんな古来からの風習がだんだんすたれていって、企業の戦略に踊らされたイベントに流されてしまう人が多くなったことに少し憂いを感じてしまいます。
バレンタインデー、ホワイトデー、ハロウィーン、クリスマス。。。。。どれも経済効果は抜群なのですが、イベントごとや賑やかなことが嫌いな私は、いつものように淡々と過ごすしかありません。
経済効果があるならば、企業側は利用するに決まっています。あの手この手を使って飽きさせないようにしていきます。
弊社の商品は公なイベントにはあまり関係ありませんが、プライベートなイベント(誕生日、記念日など)や特にお祝い事には欠かせないものがあります。
お世話になっている方、大切な方への贈り物は、贈る方からすればすごく慎重に商品を選び、先様に喜んでもらおうとを考えます。季節のごあいさつの商品としても、お祝い事の商品にしても、作る我々とすれば贈る側の想いをしっかりと汲んで、また商品が届いた際のシーンを思い浮かべて作らなければなりません。
お届け先の方が弊社の商品を囲んで、笑顔で和やかなひと時を過ごしてもらえることが、弊社にとっても一番うれしいことです。
贈り物の需要は、昔に比べて少なくなっている傾向にあります。贈り物の文化が衰退してきていますが、反面自分へのお取り寄せは今後も伸びていくと思っています。
いずれにしても届いた先で心に残るような思い出のシーンにお役に立てるよう、またいつの時代にも必要とされるような商品作りを忘れてはならないと思います。
《END》