2018年08月14日
こんにちは。世の中はお盆休みでありますが、弊社は本日も仕出し料理を作っております。法事の料理とお葬式の料理です。今年の猛暑には参ってしまいます”(-“”-)” 人間はもちろん、動物も植物も虫たちにも命にかかわる暑さとなっています。
明日は終戦記念日です。しかし本当の意味で戦争が終わったのは9月2日なのです。前日の8月14日にポツダム宣言を受諾し、15日の朝玉音放送があり、国民全体がこれで戦争は終わったと思っただけで、国際的には9月2日に太平洋戦争が終結したことになっています。旧ソ連が8月15日を過ぎても侵攻を止めなかったのもそのせいです。
私は恥ずかしながらこの歳にして初めて知ることがあります。先日NHKで放映していましたが、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃は日本が先制攻撃をしかけましたが、実は日本が先に攻撃をするようにアメリカがしむけたのです。当時日本はハワイにスパイを送って、真珠湾の海軍基地を偵察させていました。でもアメリカはこのことをすでに察知しており、日本が先に攻撃してくるのを待っていたのです。先に攻撃されれば戦争をする大義も生まれ、絶対に勝つ自信があったアメリカは、当時不況にあえいでいた国内情勢を戦争による軍事特需で盛り上げようとたくらんでいました。
そして12月8日日本が先制攻撃を仕掛けて、真珠湾は玉砕されたのですが、それより少し前にアメリカの潜水艦の魚雷によって、日本の軍艦が沈没されていたのです。この事実がばれると日本から仕掛けたから戦争が始まったとする大義がなくなってしまうので、長年ずっと秘密裏にされていたのです。
明治維新以降、日本はロシア、中国などの大国と戦争をして勝ってきました。第一次世界大戦にも勝利をし、国内はどんどん軍国主義に染まっていきました。昭和に入ると一段と軍部の力が増してきて、満州や東南アジア諸国へと侵攻していきました。当時から国内でも軍部が力を増してくることに反発する動きもありましたが、絶対的権力を持つ軍部には、このような意見は抹殺されてしまいました。そして戦時中にも都合の悪い情報は国民には隠してしまい、敗戦が濃厚になると機密文書も処分されてしまいました。
当時の国内はオウム真理教の麻原に洗脳され、マインドコントロールされていた信者と同じだと思います。戦地に駆り出された若者は何の疑いもなく、お国のために戦いました。広島、長崎には原爆を落とされ、沖縄では唯一地上戦が繰り広げられ、多くの犠牲者が生まれました。戦争で勝とうが負けようが、得るものなど何一つないはずです。失うことの大きさは計り知れないのです。
いち早い日本の戦後復興は世界を驚かせましたが、もし日本が戦争をしていなかったら、この国はどうなっていたんだろうか?今よりももっと豊かになっていたのだろうかと考えさせられます。
戦後73年を迎え、日本の置かれている立場は難しいままです。唯一の被爆国でありながら、アメリカの核の傘下にあり、核廃絶の国連の会議にも参加しませんし、首相も広島や長崎での追悼式では核廃絶の話には触れません。
日本はいまだに戦争の総括が出来ていません。だから戦争を体験した祖父母や両親などから話を聞くくらいしかなかったし、日本史の授業でさらっと教わるくらいのものでした。そうではなくて、やはり戦中、戦後を総括し、学校教育の場で戦争の話や命の尊さなどを学ぶべきだと思います。
戦後73年が経つと言うのに、いまだにアメリカの属国のような日本は、アメリカの顔色を伺うような外交をしています。きっちりと戦後処理、統括が出来ていたなら、もっと自立した国家になっていたでしょう。
安倍首相は憲法改正に躍起になっていますが、憲法9条だけはそのままにしてほしいです。今や国を守る防衛省をはじめ、国の官僚たちは機密文書を改ざんしたり、破棄したりしています。何を信じていけばいいのか、国民はもはや政治にも冷めているのかもしれません。
戦争で何万人もの犠牲者が出ました。この人達の命を無駄にしないように国民も戦後復興に頑張ったに違いありません!その思いは、戦後何年経とうが、どんな時代になろうが普遍的でなければならないと思います。いくら物質的に恵まれようが、生活が豊かになろうが、多くの犠牲者があってこそ、我々が生かされているのだと言う思いを忘れてはならないと思います。
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2018年08月06日
こんにちは。8月に入って1週間が経ちました。そして西日本を襲った豪雨から、今日で一か月が経ちました。毎日のように命にかかわる暑さが続き、被災地では猛暑と闘いながら、先の見えない復旧作業が行われています。
猛暑の中での作業、プライベートのない避難生活は、精神的にも肉体的にも相当の疲労が溜まるものと思われます。周辺では夏祭りや花火大会の自粛をする傾向にありますが、一概に自粛することが良いこととは言えないと思います。いつものイベントに、復興支援を目的としたチャリティバザーや募金などを加えて行うのも一つの手だとは思います。
また本日は広島へ原爆が投下されて73年を迎えます。天災による被災者、戦争による犠牲者の心の傷は、何年経っても癒されることはないのでしょう。
先日テレビで観たのですが、広島ではあたり前のように平和学習が行われています。子供たちに戦争の悲惨さを教えることはもとより、平和の尊さや被害に遭った人達の心の傷をどのように感じ、また後世にどのように伝えていくかが大切だと思います。
この度の豪雨によって被災された方や、以前に大きな地震や津波などの天災によって被災された多くの方も同じです。何年たっても当時の恐怖は忘れることはないでしょうし、失ったものは計り知れないと思います。
ゆとり教育のなかでは、道徳教育はないがしろにされていたようですが、最近になってようやく道徳教育が見直されるようになりました。
こんな時代だからこそ、広島での平和学習のように、すべての学校で道徳教育に力を入れて、命の尊さだとか、人に寄り添う気持ちだとかを学ばなければならないと思います。そうすることで、身近ないじめも減っていくのではないでしょうか。
今、私や皆さんが何不自由なく健康に生きているのは、当り前のことではなく、むしろ奇跡なのかもしれません。そんな人が自分のためだけにのほほんと暮らしていては、罰が当たると思います。お金や物資を援助することも大切ですが、人の痛みを自分のこととしてどれだけ考えられるかが肝心だと思います。
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